仕事もそんなに忙しくないので、今日は楽曲紹介でもしてみたいと思います。
たまにはアツく語りたいじゃないですか。そういう気分なのですよ。

というわけで、
一回目は、僕が18のときにある友人を通して出会い、
その後の人生の方向性を決定づけるマスターピースとなった
ビーチ・ボーイズの1966年発表アルバム『Pet Sounds』です。
このアルバムは、ビーチ・ボーイズのアルバムであって
ビーチ・ボーイズのアルバムではあり ません。
リーダー兼プロデューサーを務める、ブライアン・ウィルソンのソロ作といっても
過言ではないです。
'61年のデビュー当時から当アルバムの間まで、
彼らは【波・車・女の子】をイメージとしたホットロッドな曲を作ってきました。
そこにはレーベルの戦略もあり、軽快なナンバーが若い女の子にウケる、という
メンバーたちの打算的な意向もありました。
確かに、デビュー当時の音源は、非常にポップで軽快です。
しかし、彼らが他の同類グループより確実に秀でた才能を持つ決定的な財産を
当時からでもうかがい知ることができます。
内声が複雑に構成されたコーラスワークと、
極端な転調による展開のインパクト。
これらは、リーダー、ブライアン・ウィルソンの手腕によるものです。
彼が幼少時こよなく愛した
フォー・フレッシュメンなどから受けた影響が如実に出ています。
結局このアプローチが通り一遍のサーフ・ミュージックに一石を投じる結果となり、
グループは若くして超売れっ子になりました。
しかし、ブライアンの心の中では、なにかが引っかかっていました。
そんなある日、
ブライアンは名プロデューサーのフィル・スペクターのスタジオワークを目にします。
プロデューサーとしての冷徹なまでの完璧な仕事。
『ウォール・オブ・サウンド』と呼ばれる、
同じ音を重ねた時の倍音までも音として取り入れた、独自の音響芸術。
さらに、ビートルズがアルバム『ラバー・ソウル』を発表。
今までにない、フォークロック色の強い作品群に、強い感銘を受けるブライアン。
彼は新しい方向性を見出しました。
こういうものが作りたかったんだ…と。
ただ軽快にサーフィンの曲を作ることに、
誰よりも早く疑問符を抱いていた彼にとっては、
まさに目の前に見えた一筋の光明でした。
さっそくメンバーの反対をよそに、順調だったボーイズのツアーを一人離脱。
スタジオにこもりきりの生活を送ります。
そして、こともあろうに、他のメンバーが世界を飛び回っている間に
フィル・スペクターお墨付きの名うてのスタジオ・ミュージシャンを呼び寄せ、
今回紹介する『Pet Sounds』を作ってしまうのです。
衝動が人間を突き動かす力とはすさまじいですね。。
フィル・スペクターが、純粋なポップス職人だったのに対し、
彼のそれは、狂気に満ち溢れた、それでいて非常にもろく儚い、
実験性に満ちたアルバムになっています。
しかし、根が大変優れたメロディ・メイカーなので、その要素がすべて集まり、
結果、言葉で言い表すことができないくらいピュアで美しいアルバムとなっています。
ツアーから帰ってきたメンバーは当然激怒しました。
今まで自分達がやってきた音楽と180°方向性が違いますからね。
「こんなの誰に聴かせんねん、犬か!?」
と、一説ではマイク・ラブが言い放ったといいます。
レーベルも困惑し、一応『Pet Sounds』を出すには出すのですが、
売れ行きを懸念してイメージ払拭のために立て続けにベストを発表してしまったので、
結局当時は「ボーイズのひょんなご乱心」的な位置づけに屈してしまったのです。。
そのことが原因で、ブライアンは次第に退廃的な生活に陥っていきます。
ドラッグ生活はますます悪化の一途をたどり、部屋を一歩も出ない日々が続きました。
さらに、この扱いにめげず、ヴァン・ダイク・パークスと共同で作り始めた
次のアルバム『SMILE』も、外部からの圧力と自身に対するプレッシャーにより、
最終的に製作途中で頓挫してしまいます。
(後に完成しましたが、この話はまた別の機会に…)
彼は、お金じゃなく、ただ「評価」がもらいたかったんだと思います。
作品における自己尊厳欲のみに、全欲求が傾いていたのだと思います。
僕も、どちらかといえばこのタイプです。
お金を最終的にもらわなければプロじゃないという考えが世間では浸透していますが、
本当にピュアに作品と対峙し、表現し、報酬に関係なく
自分のことをわかって欲しい子供のようになる人がいるのもまた事実です。
そういった角度で聴くと、より深く共感できるのではないでしょうか…
今日も『Wouldn’t It Be Nice』のティンパニとともに、
彼の見た夢の軌跡を追いかけている自分がいます。
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